先日茶道のお稽古にいってきたのですが、

 

「真・行・草」について気づきがありました。

 

点前の「真・行・草」は、よく習字の楷書、行書、草書に例えられるそうです。

 

まったく省略していないのが「楷書」

 

それをすこしくずしたのが「行書」

 

うんとくずしたのが「草書」

 

「真行草」について検索していて、下記の論文もございました。
「日本の伝統芸能における型論-真・行・草-」(大阪市立大学大学院 都市系専攻 修士論文梗概集
http://www.nakatani-seminar.org/kozin/syuuronn_kougai/ose.pdf

 

 

そして、千 利休 以前は、真の点前から習ったのですが、宗旦あたりから逆になったそうです。

 

石州流では今でも「真」の点前から習うそうなので、人前でできる「草」の点前までするのには、

 

10年くらいかかるそうなのです。

 

 

 

「稽古とは 一より習い十を知り 十よりかへる もとのその一」千 利休

 

この言葉にもあるように、「草」の点前から学びはじめ、「真」まで学び、

 

そして「草」をさらに学ぶことで、本当の「守破離」を行うことができるのだと稽古を通じて学びました。

 

 

 

これは、人生の生き方にも通じるものです。

 

お仕事を通じて、日々さまざまなことを体験し学んでいきますが、

 

身近なお仕事をするためにも、「真」となる真理を学び続け、日々のお仕事は「草」として

 

常にお客様満足を考え、わかりやすく、気軽に、興味を持っていただけるように改善し続ける。

 

「真」があることで、「草」が磨かれ、「草」を磨くためには、「真」を学ばなければ、崩すことはできない。

 

 

「茶道」を通じて、考え方の真理を体感することができたことに感謝です。

 

学びは生涯を通じて続きますが、本当に「茶」は奥深く、素晴らしく、楽しいですね!!

 

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